キリストに倣いて(3.25.4 永続する心の平安ならびに真の進歩とはどういうことであるか)

 何事においても、自分を省み、自分の行為、言葉に注意し、まったくただわたしだけを喜ばせるように心がけ、わたしの外に何ものをも望み求めてはならぬ。

 そして他人の言葉や行いについては、かるがるしく是非を言わず、またあなたに任されたことでなければ関係するな。そうすればわずらわしい思いをすることはほとんどなく、あってもきわめてまれであろう。

 しかしわずらわしい思いが少しもない、心にもからだにもなんの悩みも苦しみもないというようなことは、この世の状態ではなくて、永遠なる安息の状態である。

 ゆえにわずらわしい思いが少しもないとしても、それで真の平和を得たと考えてはならぬ。一人も敵がいないとしても、それですべてよいと思ってはならぬ。万事思いのままにうまく行っているとしても、それで完全であると考えてはならぬ。

 また、大いなる敬虔の念が生じ、甘美な楽しさを覚えたとしても、それで自分をひとかどの偉い者と思ったり、神に特別愛されている者と考えたりしてはならぬ。なんとなれば、真に徳を愛する人はかようなことで知られるものではなく、また人の進歩や完成とはかようなことをいうのではないからである。