ホセア書6・1-2

さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし、三日目に立ちあがらせてくださる。我々は御前に生きる。(ホセア書6・1-2)

 

キリストの愛神主義は利他利己主義の上に超越して、最も多く他を利して最も多く己を利する道を私に教えた。私は罪を自覚してこれを避けることができる。私は私に付与された赦免は神の公義にもとらないものであるために、私の全体の応諾でこれに答えることができる。私の求めようと願うもので、天が私に与えないものはない。造化は実に失敗ではなかった。インマヌエル、神我らと共にある。人生はひとたび通過する価値があるものである。(内村鑑三、求安、一日一生5-29)

 

ホセア書は旧約聖書の一つ。イエスの受難と旧約聖書との関係がここにあると思う。神の行う業は決して我々を物質的に安全に導くものとは限らない。いや、死亡率100%の我々にとって、人生とは苦難を必ず迎えるものであろう。そして主はその後に癒してくれる。(林2013-5-29、台南)