ガラテヤの信徒への手紙3・26~28

あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

 

私は世に私の讐敵(かたき)のあることを思わないで、私の同情者のあることを思う。私は世に私の瑕瑾(きず)と探り索(もと)める批評家のあることを思わないで、私の真意を理解する愛友のあることを思う。それは敵意は私の意を縮め、友情はこれを寛(ひろ)めて私に人生を厭(いと)わないようにさせるからである。これは己惚(うぬぼれ)のように見えるがそうではない。今日のように人々が皆「四海讐敵」であるとの念を懐く時に際しては、私の心中に人類に対する温かい愛情を保有する必要がある。(内村鑑三、一日一生6/22)

 

男も女もないという言葉に希望を抱く。病者訪問の際、女性を訪問することに躊躇してしまうことがある。逆もそうであろう。イエス・キリストを着ることにより男女関係なく、神の子として繋がることを希望する。(林、2013/6/22)