ヨハネによる福音書6・28、29

そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」

 

義務よ、義務よと叫ぶものは、よく義務を果たす人ではない。義務の念は重荷となり、心志(こころざし)を圧してその活動力を減殺するものである。どんなにおもしろい学科といっても学校の課目となって強いられる時は、その快味がかえって苦味と変じるように、どんなに高尚な事業であるといっても、義務としてこれにあたるときは、乾燥無味な奴隷的事業と変じるのである。キリスト信者の大事業家でありうるのは、彼はすでに事業をなし遂げた者であったからである。神の前にすでに義とされて、人の前に名誉を博する必要がないからである。あたかも億万の富をもち金銭を得る必要のないものは、常に商業界において勝利を得るもののようである。(内村鑑三、一日一生6/21)

 

私の子供が最近スポーツを自分達で選んで積極的に活動しているが、小さい時から強制的に続けてきたピアノ、水泳、英語といった習い事よりも、一生懸命である。このルールは大切にしたい。

ところで、福音の内容とどういう関係があるのだろうか?イエスを信じるとは?神の業とは?それは誰かに信じなさいと言われて信じるのではなく、自分の意思、自分の考えによってイエスを信じるべきだ!ということ。それが神の仕業。子供に信仰の姿を教える時も、決して押しつけてはならない、神の業を待つべきである。(林、2013/6/21、別府)