コロサイの信徒への手紙2・2-2,3

それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。

 

キリストは私に自己を下さった。彼にある生命(いのち)を下さった。聖霊を下さった。神と人とを愛する心を下さった。忍耐と希望と歓喜とを下さった。まことに、彼は私に神を下さった。そして神と共に宇宙万物を下さった。彼は私の死んだ霊魂をお活かしになって、私を内に富みまた賢い者とならせて下さった。それによりキリストは私のすべてである。私の食物また衣服また家屋である。彼はまた私が神の前に立つ時の誇り(勲章)である。彼はまた私の知識である。彼はまた私の「曙の星」であって、私の歌の題目、美術の理想である。彼はまた私の自覚の根底であるから、私の哲学と倫理との基礎である。キリストは私に自己をお与え下さり私に万物をお与え下さった。(内村鑑三、感想、一日一生6/20)

 

昨日、私の手首を観察してみた。脈が打っていて、皮膚が張ってある。左右の手首は同じように出来ている。私の意思とは別に心臓、内蔵、体の組織は自立して毎日、毎分、毎秒、休むことなく働いている。物理的なこれらがすべて止まる死というものを怖れるのは当たり前である。心はどこにあるのだろうか?それも毎秒休むことなく働いているのだろうか?内村鑑三の云う、忍耐、希望、歓喜、霊魂、知識、美術、哲学、倫理は全て目には見えない対象のようである。つまり心の話。心がキリストによって与えられている。心にとってキリストが全てであるということだろう。(林、2013/6/20、別府)