コリントの信徒への手紙1,15・47-49

最初の人は土ででき、地に属するものであり、第二の人は天に属する者です。土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。

 

イエスの義があって彼に栄光が臨んだのである。人は生まれながらにして復活できる者ではない。義の結果として、あるいはその報賞(むくい)として復活するのである。イエスが復活なさったのは彼が義を完了(まっとう)されたからである。そして私たちは信仰によってイエスの完全な義を自分の義とすることができて、イエスに臨んだ復活永生の栄光がまた私たちに臨むのである。ああ大なるかな神の愛。(内村鑑三、8/7)

 

義とは何か?Wikiによると、

キリスト教では罪の対立概念。他者に対して義(ただ)しい、誠実な、偽りのない態度で臨むこと、またそのような態度が可能である魂の状態をいう。神によって「義とされる」。真に義であるのは神のみである(義人はいない)が、人間は神を信じることにおいて義に近づくことが出来る。信じないことは不義と同義であるとされる。「ヤコブの手紙」によれば義しさは、神への信仰を表明することのみならず、他の人間に対する行為において現れる。