コロサイの信徒への手紙2・6-7

あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。

 

「シモン・ペトロが(イエス)に答えた、主よ私たちはあなたを去って誰のところに行こうか。永生(かぎりないいのち)の言(ことば)をもっている者はあなたであると」(ヨハ6・68)。私たちはイエスを去って仏教に入ろうか、儒教に帰ろうか、スピノザに行って哲学者になろうか、ハイネについて詩人になろうか、殖産をもって私の生涯の唯一の目的としようか、政治に私のすべての満足を求めようか。イエスを信じるのに苦痛と辛酸(しんさん)がないことはない、しかし永生(かぎりないいのち)の言(ことば)は彼をおいてほかにはない。私たちは彼を捨て去った人で、彼の恩寵(おんちょう)に勝る幸福をほかに発見できた者のあることを知らない。(内村鑑三、8/12)

 

様々な宗教を比較することに、本来のメリットはないであろう。この情報多き世の中、情報に惑わされ、かえって悩みが深くなることもあるかも知れない。中途半端な信心で幸せになることをイエス様は教えていない。キリスト教の真髄はイエスの復活にある。個人の復活、人類の復活、それを信じる、信じ続けることは大変なことではあるが、いつ迎えにくるのかはわからないので、常に準備しないといけない。大変なことである。私のような信仰の薄いものにとって、信じ続けることは厳しいので、共同体が必要なのかもしれない、一緒に祈ってくれるマリア様が必要なのかも知れない。