第19主日ミサ

第一朗読:知恵の書(18・6-9)

第二朗読:ヘブライ人への手紙(11・1-2、8-19)

福音:ルカによる福音書(12・32-48)

プッポ神父様による説教

「主が再び来られる」という信仰について。「世の終わり」とは一般的に言われる悪いイメージではなく、「世の完成」のこと。イエス様の生涯は2000年前に歴史的に終わる。しかしイエス様は生きておられる、復活の信仰として。来臨、再び来られるということ。いつも、いつでも、いつまでも、という期待を持って我々は生きている。頑張っている。それも恵みの一つ。

「思いがけない時」とある。しかしいつ来るのかはわからない。2つの完成。ひとつは個人としての完成。二つ目は人類としての完成。西暦が2000年を迎えたころ、世の終わりだと騒いで自殺者が出たり、また天体の変の噂が出たりしたが、その心配はない。

「喜びもある世の完成」

怖れるのではなく、期待、尊敬、愛、喜びを持って待ちましょう。キリストは希望なのです。朝でも夜でも、その戸を叩く、我々は開かねばならない。

人生の味は、ただ食べて死ぬことではない。主が私たちの中に生きていること。聖パウロ曰く、「私ではなく、私の中にある主です」。今日、意識してほしい、「良いことをすすめる聖伝」。

世界平和について。

武器は平和とは関係がない。平和とは戦わないことではなく、人を生かすことにある(手と手をつなぎあって)。これが使命。人々を生かすこと、それは十字架を背負うこと。平和の為に働く人は、神の子と呼ばれる。

「平和=戦わない」ではない。戦わなければ平和になる、ということではない。平和とは、働くこと、尽くすことと共にある。平和に生きるということ。

周りにいる人を生かしていますか?戦わない人が平和なのではない(冷戦状態)。平和は温かい中にいる。生かす人こそ神の子。(プッポ神父、2013/8/11)

 

真剣に世の完成について話す神父様、それを見て頑張って信じていこうと思った。イエス様の復活こそが救いである。このことは、自分の置かれる状況が非常に困難な場合に痛感すること。つまり、人生において一番つらい出来事であり、それを迎える可能性が100%である、「愛する人の死を迎える時」に痛感する。と私は信じている。