ヨハネの黙示録3・19-21

わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。見よ、わたしは戸口に立って、叩いている。誰かわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。

 
この世は不完全極まる世であるという。まことに、身の快楽を得るためには、実に不完全極まる世である。しかし神を知ろうとするためには、そして愛を全うするためには、私たちはこれよりも完全な世について思考することはできない。忍耐を練ろうとして、寛容を増そうとして、そして愛を、その極致において味わおうとして、この世は最も完全な世である。私たちは遊戯所としてこの世を見ない、鍛錬所としてこれを解する。これにより、その不完全であるのを見て驚かない。ひとえにこれによって私たちの霊性を完成しようと計る。(内村鑑三、8/13)
 
この世における経済活動には、霊魂に関するものが少なく、時間を快適に過ごすことや、肉体の健康を保つことを求めているものが多い。しかし、「愛を基準」として考えれば、この世は忍耐を練る目的や、寛容を増す目的として完全である、と内村は言う。
「愛を基準」にして、頑張ってみよう。。