キリストに倣いて(3.31.5 創造主を見出すためにいっさいの被造物を無視すること)

 私たちは人がどれほどのことをしたかをすぐ問題にします。けれどもいかなる徳ともってそれを行なったかは、それほど熱心に考えません。

 私たちは人が勇敢であるか、金持であるか、美しいか、上手であるか、文章がうまいか、歌がうまいか、よく働くかということは、知ろうとしますが、いかにその心が貧しくあるか、いかに忍耐強く柔和であるか、いかに敬虔で霊的であるかというようなことについては、たいてい黙っているのであります。

 本性は人の外面ばかり見ますが、恩恵はその内心に目を向けます。

 前者はしばしばあざむかれることがありますが、後者は神にその希望をおいているのであざむかれることはありません。