キリストに倣いて(3.31.4 創造主を見出すためにいっさいの被造物を無視すること)

 ちょっと心を集中することができたかと思うと、すぐまた気を散らして、自分の所行をきびしく調べ考えないとは、ああ、なんと情けないことでしょう!

 私たちは自分の愛情が何に向かっていても一向気に留めず、それがことごとく汚れていてもされに嘆きません。

 「すべての肉物がその道を乱したから」(創世記6.12)こそ、大洪水は起こったのであります。

 ゆえに私たちの内心の愛情がひどく腐敗すると、それから生ずる行為もやはり堕落するのであって、これこそ内的活力の欠乏した証拠なのであります。

 清い心から、善い生活の果が生ずるのであります。