キリストに倣いて(3.36.3 人のむなしい批評に対して)

 「あなたはどういう者なので、死すべき人間を恐れるのか?」(イザヤ書51.12) かれはきょうは生きているが、あすは見えなくなってしまうのである。

 神を畏れよ、そうすれば人の威嚇など恐れるにはおよばないだろう。

 だれか侮辱の言葉をはいたところで、それであなたに対し何をすることができようか?あなたを害するよりも、むしろ自分を害するだけである、かれは何びとであっても、神の審判は逃れられないのである。

 神を目の前において、不平を言わず、言い争いをするな。

 たといいまは人に負けて、不当の恥辱をこうむっているように思われても、それで腹を立てたり、短気を起こしてあなたに栄冠をへらしたりしてはならぬ。

 むしろ天上のわたしに目を注げ、わたしはあなたをすべての恥辱不義から救い、「おのおのその業に応じて報いる」(ロマ書2.6) 力を持っているからである。