キリストに倣いて(3.38.2 外部のことではよく自分を支配し、危険に際しては神によりすがること)

 またあらゆる事がらにおいて、その外観に止まらず、見たこと聞いたことを肉眼をもって判断することなく、いかなる場合にもモーセと同じく、すぐに幕屋にはいって主のおぼしめしを伺うならば、あなたも時には神のお答えを聞き、現在、および未来の多くのことについて、ご教訓をいただいて退出することができるだろう。

 なんとなれば、モーセはいつでも疑惑や難問を解決するためには、幕屋におもむき、危険や人々の害心から救われるためには、祈りに助けを求めたからである。

 かようにあなたも、あなたの心の密室に逃れて、神におん助けを一心にねがい求めるがよい。

 ヨシュアとイスラエルの子孫とは、聖書にある通り、まず主のおぼしめしを伺わず、かるがるしく相手の甘言を信じ、誤った同情に目をくらまされたばかりに、ガバオン人にあざむかれたのである。(ヨシュア紀9.14)