フィリピの信徒への手紙2・3-5

何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけではなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。

 

 キリストのような生涯は、悪人に殺されれば、それで終わりになるものでございましょうか。もしキリストが復活しないで、彼の生命(いのち)も空しくユダの山地の塵となって消え失せてしまったものならば、この宇宙とはなんと頼み少ないところではありませんか。しかしこれはそうではございません。謙遜であることがキリストのような者の生涯は、永遠にまで存在する価値のあるものでございます。そうして私たちの生涯といっても、彼の生涯にならえば同じように永久の性を帯びることができます。すなわち永生とは実に謙下(へりくだり)の結果であります。キリストのように謙遜であることができれば、私たちも永生にはいることができます。(内村鑑三、座談、一日一生6/6)

 

ソーリヒ神父様は実に謙遜な人であった。見習いたい。(2013/6/6、林、名古屋)