ペトロの手紙1、1・3-4

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天を蓄えられている。朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。(ペトロの手紙1、1・3-4)

 

信者は安心して死に対すべきである。必ずしも生を求めず、また必ずしも死を願わず、生きるのも主のため死ぬのも主のためである。死ぬべき時に死ぬのは大いなる恩恵(めぐみ)である。もしいたずらに生を希(ねが)って、死ぬべき時にしななければ不幸でこれより大きなものはない。死ぬべき時に死ぬ生は光明にはいる門である。死は最大の不幸であるというのは、信者のいうべきことではない。彼はただ死ぬべき時に死ぬことを願うのである。その時よりも早くなく、その時よりも遅くなく。(内村鑑三、復活、一日一生6/10)

 

親より先に死にたくない、また子には先に死んでほしくない。自分が死んでも、周りに迷惑をかけたくない。それが私の本音である。日出殉教公園の加賀山親子を思い出してしまうのだが、なぜ5歳の息子ディエゴが自分から殉教すると言い出し、そしてなぜ周りが止めなかったのか。殺戮する側は心に留めなかったのか?不思議であると思うが、そこに明らかに目には見えない信仰を目にしたのだろうと思う。(林、2013/6/9、別府)