年間第10主日のミサ内容

第一朗読:列王記17・17-24

第二朗読:使徒パウロのガラテヤの教会への手紙1・11-19

福音:ナインのやもめの息子(ルカによる福音7・11-17、プッポ神父様)

ルカは医者であり、異邦人。彼の視点で書かれたルカ書。旧約は関係ない日本人にも親しみやすいので、ゆっくり味わって読んでほしい。イエスは「いやしてくれ」と頼まれたのではなく、「信仰」を、その母親が持っていたからでもなく、「見て」、「あわれに思い」、「行動」と取った。イエスは彼女に信仰を求めていないし、信じるか?とも聞いていない。ある母親を対象としている。誰であろうが構わない。ただ可哀相と思った。「やもめ」は社会的に良しとされていなかった時代、イエスは「いけないこと」でも行う。「若者よ、おきなさい」と言い、その母親をあわれに思って、母親へのいつくしみに対して行動した。人々は皆、恐れを抱いた。ユダヤ教徒として、神の前に立った心理である。この人は大預言者だ、普通にはありえない神様の働きだと。

私(プッポ神父様)が想像するに、この一人息子の失った人生をやりなおした。物をいい始めた息子。イエスはただ母親に返した。悪い息子が、死んでいたのに生き返った、そして喜ぶ。息子の死を母に返す。命というものは、母のものでも、息子のものでもない、神のもの。喜んで感謝したい。素晴らしい。神は人を愛している。賛美して人生をやりなおす。あなたは悩みある人のそばにいて、起こす。(~~が出来るように祈る)我々は救いの喜びを分かち合う。苦しみ、悩み、今我々を通して、救いの喜びを分かち合う。心を1つにして神をたたえる。自分が救われるというのではなく、救われている自分を伝える。信仰を分かち合うことは、信仰の恵み。自分を通して多くの人に救いを分かち合う。自分をむなしくして、人々に救いを与えたイエスの生き方。人々の為の存在、辛いことたくさんある。救いの喜びをわかちあいましょう。

 

ルカ書は異邦人キリスト者に向けて書かれている(フランシスコ会聖書研究所、ルカによる福音書解説より)。

「見て」、「あわれに思い(はらわたが震えるほど深い同情を感じ)」、「行動する」。これが愛のステップ。私は、この世では、死んだ人は生き返らないことを知っている。しかし、愛する人が天国で待っていること、自分も天国に行けること、我々はイエスキリストの復活を通して、それこそが人類の救いであると思うし、それこそを宣教すべきことだと思う。神様はわたしたちを愛してくれていて、いつか命を返してくれる。その救いに感謝したい。その喜びを伝えていきたい。(林、2013/6/9、別府教会)