ヘブライ人への手紙6・11-12

わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです(ヘブライ人への手紙6・11-12)

 

「すべてのことを信じる」(1コリント13・7)とは何事によらず信じるという意ではない。すべてのことを信じるとは、すべての善いことを信じるという意である。私たちは天に愛の父がおられることを信じる。私たちは罪の赦免(ゆるし)を信じ、霊魂の不滅と肉体の復活とを信じる。私たちはまた万物の復興と天国の来臨とを信じる。私たちの信じてはならないことは悪がついに世に勝つということである。この世が全滅に帰して混沌が再び宇宙をおおうようになるだろうということである。信仰は希望である。善を望まない信仰は信仰であって信仰ではないのである。(内村鑑三、所感、一日一生6/14)

 

我々は多くの戦争を繰り返してきた。いままで南京の虐殺記念館を3回訪問してきた(1995年、2002年、2004年)が、感じることは、人が罪深くどうしようもないこと。果たして許されるのか?しかし許してもらうこと以外に救いはないと思った。その記念館にて日本人の手記をみた。母国のこと、家族のことを思う、普通の日本人であった。戦争に行った人は信仰が薄かったのか?そうではないと思う。今でも宗教間の争いは絶えない。信仰心が高じて自爆テロを起こす人もいる。自分の信仰が正しいものなのか、それを確かめるためにも常にキリストの方向を、主の生きざまを思い巡らす必要があると思う。(林、2013/6/14、別府)