詩篇84・11-13

あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。主に逆らう者の天幕で長らえるよりは、わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。主は太陽、盾、神は恵み、栄光、完全な道を歩く人に主は与え、良いものを拒もうとはなさいません。万軍の主よ、あなたにより頼む人は、いかに幸いなことでしょう。(詩篇84・11-13)

 

地に属するものが私の眼から隠された時、初めて天のものが見え始めた。人生終局の目的とは何か、罪人(つみびと)がその罪を洗い去る道はあるのか、どのようにして純清に達することができるのか、これらの問題が今は私の全心を奪い去っている。栄光の王は神の右に座り、ソクラテス、パウロ、クロムウェルの輩が、数知れないほど御位(みくらい)の周囲に座っていた。荊棘(いばら)の冠を戴きながら十字架に上ったイエス・キリスト、来世の存在を論じつつ従容(しょうよう)として毒を飲んだソクラテス、異卿ラベナに放逐(ほうちく)されたダンテ、そのほか夥多(あまた)の英霊は今は私の親友となり、詩人リヒターと共に天の使いに導かれつつ、球より球まで、星より星まで、心霊界の広大さを探り、この地に咲かない花、この土に見ない宝玉、聞いたことのない音楽、味わったことのない美味、私は実に思いもかけない国にはいったのである。(内村鑑三、慰め、一日一生6/15)

 

「神はわたしたちを愛して下さる。その喜びを伝えよう。」とプッポ神父様は言われた(2013/6/9、主日ミサにて)。太陽、空気、雨、大地、自然的なもの、それらからの恵みである食べ物、わたしたちの平和、よくぞ恵みを与えてくださった。その1つでもある程度の期間において欠けてしまえば、われわれは死に直面する。福島にいる友人たちよ!風評に負けず、ともに神への感謝を忘れないよう祈りましょう。(林、2013/6/15、別府)