使徒言行録17・24-27

世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は一人の人からすべての民衆を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探しもとめさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。(使徒言行録17・24-27)

 

私は神はあると信じる。その最もたしかな証拠は私自身が存在することである。私は私の父母を通して世に生まれて来た者であるが、しかし私には私の父母が生むことのできないものがある。すなわち私には私の霊魂がある。すなわち独りで行なうところのものがある。これは私の父母とはなんの関係もないものであって、これは直接神より出て来たものである。これがすなわち私自身であって、私の人格である。私の肉体の変遷と同時(とも)に変遷することのないもの、私の責任のあるところ、私の不朽の部分、自我の中心点、私はこういう玄妙(げんみょう)なものが私の内にあるのを知っているために神の存在を信じて疑わないのである。(内村鑑三、感想、一日一生6/16)

 

私は独りでいる時よりも、人々と一緒にいる時に神を感じる。この大切な人々と会わせてくれた神に感謝します。カトリックの信者になったのも、人との出会いがそうさせた。いろいろな宗教に出入りしたが、シスターの方々の愛に充ち溢れる、真摯にイエス・キリストの方向を向く、自らを律する生き方に感銘を覚えてきた。(林、2013/6/16、別府)