ヘブライ人への手紙4・14-16

さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情出来ない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宣にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

 

私はキリストが私に代わって成し就げられた善行によって救われるのである。私が大胆にも多くの私に不相応な要求をもって神に近づきうるのは全くこれのためである。いかに慈悲深い神であっても、私は私のために私をお恵みくださいと言って彼に近づくことはできない。しかしながら、キリストのために私をお恵み下さいというのであるならば、私のような者といっても、大胆にアパ父よと叫びながら神の宝座(みくら)に向かって進み行くことができる。私は私のために何者をも要求する資格をもたない。しかしながら、キリストのためならば、万事を父に向かって要求することができる。(内村鑑三、一日一生6/25)

 

イエス・キリストよ、よくぞ復活してくれた、ありがとうございます。本当に感謝します。おかげであなたを着ることが出来る。遠慮なく、接するべき人々に接することが出来る、わたしのようなものでも。。。(林、2013/6/25、仙台)