ペトロの手紙1、2・9-10

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方のある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。

 

キリスト信者とはもちろんキリストを信じる者である。しかし彼は実は自ら信じて信者となったのではなく、神に信じさせられて信者となったのである。彼の信仰は救済(すくい)の結果であって、信仰が救済の原因であるのではない。「あなたがたが信じるのは神の大いなる能(ちから)の感動(はたらき)によるのである」とは聖書が力を籠めて宣べ伝えるところであって、私たちは信仰によって救われるというものの、その信仰そのものが神の特別な恩賜(たまもの)であることを私たちは決して忘れてはならない。(内村鑑三、6/27)

 

私の信仰など大したものではないと、昨日述べたが、それでもそれは神からの恵み。感謝しないといけないことです。自分はキリスト信者ではあるが、決して誇れる理由でそうなったのではありません。人生いろいろある中で、キリストが救い主であると気づいたのがきっかけ。どうやって気づいたのかは、やはり神様からの恵みでしょう。よくわかりません。(林、2013/6/27、仙台)