ローマの信徒への手紙5・3-5

そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

 

忍耐といえば、普通辛いことと思われている。我慢することと思われている。キリスト信者の忍耐とはそんなものではない。キリスト信者の忍耐とは優に耐えるということである。すなわち神によって、希望をもって、喜びつつなんの苦も感じることなく、耐えるということである。大きな船が波濤(はとう)に耐えるように、大きな家が地震に耐えるように、一種の快味をもって世の苦痛に耐えることである。これを忍耐というのは耐えるという意味からそういうのである。忍ぶというのではない。もしキリスト信者の忍耐を意義なりに表そうとするならば、これを歓耐(かんたい)というのが適当であると思う。彼の信仰の充実するときには我慢、辛抱(しんぼう)の意味においての忍耐は彼にはないはずである。(内村鑑三、6/30)

 

アメリカに行くのが怖い。クビになるのが怖い。最初は失うものは何もないと、チャレンジ精神で向かったのだが、今は失うことを怖れている。辛抱、我慢、忍耐、アメリカ人にも通用するのだろうか。。。(林、2013/6/30、別府)