ガラテヤの信徒への手紙4・8-9

ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている。いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか?

 

第2の宗教改革は第1の宗教改革と同じである。すなわち行ないに対する信仰の勃興である。第1の場合においては行ないはイタリア国において代表された。第2の場合においては米国によって代表される。第1の場合においては改革の任は独逸(ドイツ)に下った。第2においてはそれをわが日本に委ねられることを希(ねが)う。私たちは手にパウロの書翰(しょかん)を握っているではないか。私たちはこれをもって、弱く賤(いや)しい事業の小学を打破すべきである。(内村鑑三、8/1)

 

世の中にはいろいろな宗教がある。宗祖にもいろいろあるし、宗派も多様で、考え方も様々である。そこで私はキリスト教を選んだ。それは何故か?

1993年の8月にアフリカのガーナで聖書にであった。青年海外協力隊の高校教師として任地に派遣され、住居の中央のテーブルの上に英語の聖書が置いてあったのである。そこでは、人生を投じて人々に奉仕するプロテスタント系の牧師家族に出会った(こそ泥に有り金を全て盗まれて困っている時に、彼(ジョン)の家に招かれて話を聞いてもらった)。そこでマザーテレサの活動を知った、その最も貧しき人に手を差し伸べるということがどんなに困難であるのか、それをアフリカで感じてきた。アフリカでは2回マラリアに罹った。コソ泥に有り金を盗まれ、1か月ウツになったこともある。しかし、そこではいつも神の存在を感じていた、アフリカの人々の中に。アフリカの人々は100%完全に神を信じている。その頃の私は、いつも歎異抄を持ち歩いて念仏を唱え、またある時期はSGI創価学会インターナショナル)の友人とお経を唱えたりしていた。モスリムの友人もいた(彼らは本当に尊敬すべき品位を持っていた)。

日本に帰ってきた(1995年7月)。なんとも寂しい社会である。モラルに包まれ、規律正しい生活を過ごせる人種である。神様の存在の必要性を感じないような、安定社会である。病院にいっても、お金がなく死に直面している子供達はいない。どこの水道から水を飲んでも寄生虫やコレラの心配はない。人生を賭してシスターを行っている方々と出会った(1999年12月)。神を信じようと必死に努力している方々であった。私の子供達を預けている保育園においてである。彼女らに導かれてカトリック信者になった(2004年12月)。なぜキリスト教徒になったのか?いろいろな出会いがその道を選択させたのである。