聖母の被昇天のミサ

第一朗読:ヨハネの黙示11・19a、12・1-6、10ab

第二朗読:使徒パウロのコリントの教会への手紙1、15・21-27a

福音:ルカによる福音1・39-56

プッポ神父様の説教

マリア様の祝日。人間の自己実現の完成(個人として、人類として)について。それには順序があり、まずはキリスト、そしてキリストに属する人々(我々)、そして世の終わり。昇天については、キリストのものとマリアのものとの2つがある。マリア様のものは、我々と同じ人間としてのもの。恵みあふれる人、とエリザベトは言った、マリアは人間であった。今日の祝日、祝うだけではなく、マリア様の計画の実現を意識しましょう。マリア様は最高の信仰を持っていた。母だからこそ、イエスが真の神だと信じていた。しかしイエスのことを理解出来なかった。だから信仰をもって接した。お告げの時、子供を生むと言われ、男を知らないマリアは、「お言葉どおりになりますように!」といった。マリアは妊娠のことをヨゼフに言わない。神からヨゼフに伝えた。そこに神の働きがあった。十字架の時、マリアは立っていた。わが子のみじめさをみて、周りは笑っている、キリストをみて、自分の苦しみのように、泣いて彼を励まし、イエスの完成を見届けた。マリアは復活を信じていた。それを確認する必要もないから、イエスは復活後マリアには現れなかった。他のいろんな人には現れた。聖霊降臨では共にいる。聖霊が我を生む、信仰者としての素晴らしさ。マリア様は聖書でいろんなところで出てきている、お告げ、エリザベト、ヨゼフ、ベツレヘム、エジプト、神殿、30年もの間、成人でも三位一体のことは思いもしない、結婚式にて、「あの人の言うように。。。」といったマリア。そして受難、自分の人生、自分のキリスト。。。マリア様を我々の信仰によって受け入れましょう。認めなければならない4つのこと。

1.神の母であること。

マリア様は人間であるだけでなく、人格者として、女性として神に選ばれた一人。

2.被昇天のこと。

完成の状態。我々は不完全。魂(目に見えない)と体(人間として)に分かれている?

3.体の復活のこと。

イエス様は神である元の姿に戻ったが、マリア様は違う。人として、体の復活(我々はどのように復活するかを知らないが。。。)。

4.無原罪のこと。

乙女として、命として、男の必要はない、魂、心、精神、体もすべて整っているマリア様。

扶助者、ルルドのマリア様は信仰の中にありますが、

被昇天のマリア様は、1950年にピオ12世によって宣言されたもの。「心、体、精神、魂において恵みあふれる聖マリアは、全てにおいて完成し、身も魂も共に天に上げられた。」その時代は戦争の後だった。人間は、他人の不幸がどうなってもいいと考えていた時代があった。どうなってもいいではない。キリストと1つになって、自信を持たせるために、宣言された。人はこういう風になっていく様にと。

信仰宣言において、「体の復活、永遠の命を信じます」とあります。魂よりも人間、人間、人間。我々は神様の神殿であり、キリストの体です、と変化していくのが信仰の一つです。体と魂を分けずに、人間として、一つのものとしていきましょう。