詩編149・4-5

主は御自分の民を喜び、貧しい人を救いの輝きで装われる。主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み、伏していても喜びの声をあげる。

 

神はすべての道をもって私たちを恵もうと願われた。心の内から福音をもって行ない、眼からは美観をもって、耳からは音楽をもって、鼻からは香気をもって私たちを恵もうと願われた。私たちは恵みの道はどれも塞いではならない。神によって内からも外からも私たちを恵ませて、ゆたかに恩恵(めぐみ)に淋浴すべきである。私の机上に聖書あり、野花あり、造花あり、絵画あり、香水がある(以上もちろんいずれも高価なものではない)。私はすべてこれを喜ぶ。私はすべてこれらによってわが神を知る。そして夜ごとに燈火を消して暗い所に隠れておられる彼を拝す。昼は神を見、夜は彼を感じる。わが宗教は理性一方または感情一方の宗教ではないのである。(内村鑑三、8/18)

 

最近、昆虫を観察しては、神の素晴らしさを考えさせられる。こんな小さな蟻や蜘蛛にも、口があって、手足があって、内蔵があって、目があって、毎日があり、虫生(人生みたいなもの)がある。DNAとか、進化論とかいろいろな学術は育っているようだが、虫一匹でさえ、人間は創造することは出来ない。ただ、存在しているものを体系化させて仮説と実験を繰り返しているだけである。身の回りのもの、すべて神が創造したものを利用している。電気にしろ、光にしろ、木にしろ、パソコンにしろ、プラスチックにしろ、携帯電話にしても、その元々の物質を創造したのは神であり、人間には一切、物質を創造することは出来ない。ただ与えられたものを利用しているだけである。創造主には感謝しなくてはならない。