ヘブライ人への手紙10・19-23

それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の内を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようにしっかり保ちましょう。

 

キリストは言う、「懼(おそ)れることはない。私はすでに世に勝っている」と。(nenekeka、have overcome、既成動詞である)。道義学者ならびにユニテリアンがなんと言おうとも、福音者キリスト信者の安心勇気の大源泉は、実にキリストにおける既得の勝利にあるのである。私のなすべきことはキリストがすでに私のために成し遂げてある。私の義は彼においてすでに天にある、私はすでに彼の血をもって贖(あがな)われてある。私の得るべきものを私はすでに得てある。さあ残余の生涯を報恩の戦いで楽しもうと。これ実に真正(まこと)のキリスト信徒が常に泰然として余裕があり、老いてますます壮(さかん)である理由である。

 

わたしたちは、「非キリスト者から理解されないこと」を恐怖する必要はない。イエスキリストも理解されなかった。そして彼は貫いた。彼の道を、彼の使命を、それが復活である。信じるんです、キリストが彼の人生を勝ち取ったこと、それこそが我々の安心と勇気の源なのですから。