年間第20主日

第一朗読:エレミヤの預言38・4-6、8-10

第二朗読:ヘブライ人への手紙12・1-4

ルカによる福音:12・49-53

李神父様による説教(8/17(土)の夜ミサ)

いつも思う、熱い思い、意欲のある人はうらやましい。自分の人生を振り返ると、ずーっと熱くなかったわけではない。「熱くなれる」のは受け入れてくれる仲間がいるから。衝突を怖れて熱くなれない。→平和に戦わずに過ごす。

イエスキリストは、「平和ではなく火を投ずる」と言った。長い間理解出来なかった言葉である。何故?熱い人には人との衝突を避けず、乗り越えていく力がある。

預言者:神の言葉を伝える。→支配者から反感を受ける。黙っていて平和になるのか?

イエスも同じ。多くの人がイエスに従い、反感を持つ人達がいた。→あきらめるのか?受け入れなければならない所に向かった。

キリスト者:止まると、流れない水が腐るのと同じ。積極的に動くことが大切。聖霊が動かせる力である。新しく、キリスト者として生きること。偽りの平和ではなく、本当の平和を得る。火をもたらす為に、我々に来た「聖霊」。

聖霊を受け入れ、積極的に行動しましょう!

 

プッポ神父様による説教(8/18)

今日のイエス様の話は、最も理解が必要な箇所。分裂と平和。熱心な人は褒めるべきだが、熱狂な人は病院に行くべき。

<ニュアンス的な説明>話の背景はイスラエルではない。イエスを受け入れない人が多かった。神の概念がない人々。真の神と接するかどうか、という状況をルカが伝えた。

<洗礼がある>という言葉。その裏には使命がある。命を捨て戦わなければならない。殺されること→使命を果たすこと。父なる神から頂いた使命の完成→復活のこと。

<全てに勝る神を選ぶこと>わたしたちは、イエスに「はい」と答えた。楽になる道ではなく、十字架を背負う苦しい道。それは、根底から変える選択。神と自分、人々と自分、他人と自分→変化を与える選択。自分の最も大切な事を変えなければならない。

<誰よりも、自分よりもイエスを中心に!>イエスが良い人だからではない。イエスの使命を自分のものにする。十字架の道。→家族、身内の分裂。

皆さんの場合、周りの人全員がキリスト者ではない。→分裂する。選択の違いによって。イエスを中心とし、生き方が変わる→その利益は何?キリストは分裂をもたらす氏、祈って尽くす→馬鹿な事?

基盤:キリストと共に。道:キリストと共に。冠:キリストと共に。報い:キリストと共に。

非キリスト者からは、理解されることは「ない」。都会は大丈夫だが、小さい村には村八分というのがある。分裂の影響が大きく、社会から外される。(プッポ神父様の経験)

キリストについていくのか→「はい」。教会に来ているということは、「はい」ということ。他人から思いもしない、変な、理解出来ないと思われる。

イエスを選んでいる人々にとって、自分、身内、職場よりも「イエス」。十字架であり、素晴らしいこと。

自分でついていく大変さをわかっていく。イエスは、赦す神様、迷える羊を探す神様。→優しい神様。父なる神には、使命→命を捨てること。

「はい」と答えること。父から頂いた使命を我々の使命とすること。

楽に生きるためにキリスト者になったのではない。神の生き方は楽ではない。私達の為に命を捨てたイエスのように、人々の為に命を捨てる。

愛は愛するもの。人の為に注ぐ。犠牲を注ぐ。

アルゼンチンでは10分で7つの修道院を訪問出来る。日本では、それらがそれぞれ遠く離れている。考えることが難しい。イエスに文句を言う。あなたは3時間しか苦しんでいない、私は50数年間苦しんでいる。イエスは友達。だから文句を言える。遠慮なく言える。

「殉教者の精神が必要」

物の見方が分裂する。

病者の訪問。楽な生き方ではない。豊かな、種となる生き方。我々の毎日。

理解されない。→イエスもそうだった。命を献げた。身内でさえも。。。イエスはおかしくなったという。

キリスト者の人生とは、そういう人生。