ローマの信徒への手紙6・21-22

では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死に他ならない。あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

 

永遠の来世が確実となりますと、価値のない今世に真個(ほんとう)の価値がついてくるのであります。まず第一に私どもは世をいとわなくなるのであります。この世の苦痛は来世の希望をもって慰めることができてあまりあるのであります。今世はまた来世にはいる準備の場所とし無上の価値をもつようになります。そのもの自身のためにはなんの価値もないこの世は、来世に関連して必要欠くべからざるものとなるのであります。日々の生活(なりわい)の業(わざ)のようなものは心思を労するほどの価値もないように思われますが、しかしこれによって来世獲得の道が開かれることを知って、小事が小事でなくなるのであります。実に来世に存在の根底をおかなければ今世は全然無意味であります。来世を握る特権を賦与されて、この無意味な今世が意味深長のものとなるのであります。(内村鑑三、8/23)

 

罪深い我々は死ななければならないのだろう。「来世への希望」、これも同じように神の愛とを基準として、イエスキリストが全身全霊をかけて示したもの、聖書が数千年にかけて預言してきたこととして、信じれば、無上の価値を持つ。

愛を基準にして考えれば、この世は素晴らしい。決して無意味なものではない。