ペトロの手紙1、2・1-3

だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。

 

神はその限りない恩恵(めぐみ)をもって、神の子であり人類の王であるイエス・キリストによって、私のために救済(すくい)の道を開かれました。それにより私は感謝しつつ日々その恩恵に浴しているものでございます。しかしこのように申したといっても、私がすでに完全無欠の人となったというのではありません。罪によって生まれた私のことですから、私が天使のような純白無垢の人となりうるのは、なお永い後のことでありまして、多分私の肉体が腐敗に帰した後のことであろうと思います。しかし快復がすでに私の心の内に始まったこと、その一時は、私の少しも疑わないところであります。私はたしかにイエス・キリストの医癒(いやし)の力を感じます。(内村鑑三、8/24)

 

生まれたばかりの赤ちゃんのように、混じりけのない聖霊を求める。赤ちゃんって、可愛いですよね、とても。完全に人に任せっきりなんですが、すごいパワーを持っている。大抵の人なら、笑顔にさせるパワーを持つ。うらやましい。

私も罪によって生まれたものなので、天使のようになるのは、今生において不可能だと思う。でも、少しずつ、少しずつ、まるで雨粒が石の形を変えていくように、私の心も少しずつ変わっていっていると思います。