ペトロの手紙1、2・22-24

「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によっていきるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。

 

つまるところキリストの死は死ではなかった。これは生をもって死に打ち勝つことであった。死は最も醜悪な形をもって彼に臨んだが、彼は最も善美な道をもってこれを迎えた。キリストによって死は聖化され、すぐれて美しいものとなった。キリストはまことに死を亡(ほろ)ぼされた。キリストはその死状(しにざま)によって、死をいうものをなくしてしまわれた。死は苦痛であり、煩悶であり、絶望であるのに、ここに苦痛を忘れ、煩悶を忘れ、悔恨を覚えず、絶望を知らない死の模範が示された。すなわち愛の絶大の力が示された。愛は人生の最大の敵である死にさえ勝ちうる力である。死を死でなくしてしまうものは愛である。彼はただ愛した、そして死に勝った。実に愛を除いてほかに死に勝つ力はない。(内村鑑三、8/25)

 

キリスト教は愛を基準にして生きる宗教である。