コリントの信徒への手紙2、6・1-2

わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。

 

神の教育事業、これを称して歴史という。そして歴史はエデンの園における人類始祖の試練をもって始まり、ひいては二十世紀の今日にいたる。歴史には戦争あり、国の興亡あり、悲劇は悲劇に次ぎ、流血淋灕、これを読む者を酸鼻の念に堪えられなくさせる。しかしこれが救済(すくい)の時期である。多くの聖賢君子はこの時期においてこの世に顕われ、ついに神の子イエス・キリストがこの世に降(くだ)られて、私たち人類に死んでも死ぬことのない道をお開きになった。人類の罪悪は神をその独子(ひとりご)をお降しになるほどに彼の心を傷めさせたのである。けれども愛の無尽蔵にある神は悪に勝つに足る善を己に蔵しておられるから、人類の救済は期して待つべきである。今は恩恵(めぐみ)の時期である。人の子が神の子となりつつある時である。(内村鑑三、8/26)

 

 

内村は1861年生まれで1930年に亡くなった。日露戦争の際に非戦論を出して有名になった。関東大震災もあった。歴史は酸鼻の念に堪えられなくさせるというのがわかる。そして、イエスキリストはそういう時期に世に顕れると内村は言う。人の子が神の子となりつつある時とは、エルサレムに向う過程のような状況であろうか?

二十一世紀の今日、平穏な毎日の過ぎるこの時代、今が恵みの時なのだろうか?今が救いの日なのだろうか?神からの恵みを無駄にしていないだろうか?