年間第21主日ミサ(カトリック別府教会)

第1朗読:イザヤの預言66・18-21

第2朗読:ヘブライ人への手紙12・5-7、11-13

ルカによる福音13・22-30:プッポ神父様

説教内容:

今日の福音「狭き門から...」は良い感じのしない印象がある。愛、憐み、いつくしみのイエス様の言葉。考えさせられる。

エルサレムに向かうイエス:十字架、死、復活、彼の使命は人々の為に命を捧げること。イエスは死刑になることを知っていた。人々の救いの為に捧げる。弟子たちは怖くなった。エルサレムに行く時、「人の子は殺される」と聞いていたから(無理もない)。命の危険はそれまでにたくさんあった、しかし「その時ではない」と逃げてきた。口数少なく、エルサレムに向うイエス様。人々の救い、復活は近い。父に祈る、「この杯と飲ませないでください」イエス様にとっても大変だった。血と汗の決断。

「救われる人は少ないのでしょうか?」という問いにイエスは答えない。多いか少ないかの問題ではない。2-3週間前のミサにて、「永遠の命とは?」について話したが、悪い事をするな!善いことをせよ!親を大事に!善い道を取ればよい。それが救われる為の道。

「狭い門から入りなさい」とは!適当にしていてはいけない。イエス様についていく大変さ。イエス様の話を聞いているだけでは「あなたを知らない」と言われる。交わり、関わりがないということ。イエス様と関わっているつもりでも、イエス様のように、話し...行動しなくては、知らないと言われる。

「御言葉を聞いて、実行に移す」

実践のこと。自分達のことです。そうでなければ肉になったとは言えない。マリア様は御言葉を受け入れ実行した。実践。聞いていることを出来るだけ実行する。

「善を行いたいというのは楽」。実際に行うのは大変。具体的にする。それが狭い門。口先だけではダメ。イエス様は認めない。言行一致。イエス様の生き方とは、人に尽くす。犠牲。そして天国に入る。

選ばれた民ではなかった我々。東西南北から新しい人々がやってくる。イエス様にとどまって、共に来る新しい民。全世界が新しくなる。全ての人の父である神様が、国籍、民族の違う我々を招いてくれる。

1民族ではなく、神の民となる。

イエス様の実践が「道しるべ」として求められている。選ばれた人が外れる。思いもしなかった人々がやってくる。

1:30pmからの英語ミサ。いろんな人々のミサ。対立している国籍の方々もいる。同じ心、同じパンを得るために。自然を超える神様。イエス様の呼び掛けに「はい」と答えた私達。国と国の対立を超える。

心を広くしましょう。狭い戸口には意味がある。