ヨハネによる福音書14・27

わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

 

おお来たれよ、来てキリストの僕(しもべ)となれよ。何ゆえに世の罪悪を罵(ののし)って憤死しようとするのか、何ゆえに社会の無情を怒って切歯するのか。汝(なんじ)は汝自身について憤っているのである。汝自身の内に調和がないために、汝は汝の不安を木と岩と世と人とに向かって発しつつあるのである。来て主の平安(やすき)を味わってみよ。これがすべての思念(おもい)に過ぎる平安である。これを汝の心に迎えようか。木は汝に向かって手を打って歓(よろこ)び、人はすべて来て汝の志を賛(たす)ける者となるだろう。(内村鑑三、8/31)

 

キリストの平和は、偽りの平和ではない、誤魔化しの平和ではない、あえて戦わず、避けて得られる一時の不戦状態のことではない。たとえ社会に見捨てられても、家族に見捨てられても得られる大きな神の愛である。いざ、死に向かって歩まねばならない時に、心を寄せてくれる朋友のことであり、復活するから大丈夫と見せてくれた朋友のこと、イエスキリストの事である。イエスキリストを信じる限り、大丈夫なのである。