ミカ書6・7-8

主は喜ばれるだろうか、幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を、自分の罪のために胎の実をささげるべきか。人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。

 

尖塔が天を指して高く、風琴が楽を奏して幽(かす)かな所だけが神の教会ではないのである。孝子が家計の貧を補なうために寒夜に物を鬻(ひさ)ぐところ、これも神の教会ではないのか。貞婦が良人(おっと)の病いを苦慮し、東天未だ白まないうちに社壇に願(がん)をこめるところ、これも神の教会ではないのか。人があって世の誤解するところとなり、攻撃が四方に起こる時、友人があって独(ひと)り立って彼を弁護するところ、これも神の教会ではないのか。ああ神の教会をもって白壁または赤瓦の内にあるものと思った私の愚かさよ。神の教会は宇宙の広いように広く、善人の多いように多い。(内村鑑三、9/1)