箴言9・9-10

知恵ある人に与えれば、彼は知恵を増す。神に従う人に知恵を与えれば、彼は説得力を増す。主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め。

 

秋風吹き勉学の好時期はきた。燈火はこれから私たちの好伴侶(こうはんりょ)となるだろう。今秋今冬誰と共に語ろう。モトレーに再びオランダ勃興史を聞き、パルマの残虐、グランビルの倭奸(ねいかん)を憤(いか)りエグモント、オレンジの忠と勇とを賞讃しよう。あるいは遠く六千年の太古に遡(さかのぼ)り、セイス、ヒルプレヒトにバビロン文明の淵源を問おうか。ヒッタイト人種の古跡に日本人種の起原を探るのもまた一興であろう。英民族の膨張史に対してスペイン民族の衰退史を究(きわ)めるのも、道徳的興味ははなはだ多い。私に閑静な時間と、光の明るいランプと、字書と、地図と、数巻の書があれば、私に王者の快楽があり、私は他に求めるところはない。(内村鑑三、9/2)

 

主を畏れる。。。

人の習性、または便宜上として、組織、社会を作りたがるものだと思う。会社、学校など、人数が多ければそれに相当する管理者が必要と考えるのが普通である。しかし、キリストに従う人にはその社会性を超越する関わりがある。キリストは12使徒を制定したが、見捨てられて、殺された。イエスは神に従い、弟子たちの集団的心理・意識に従わなかった。人は集団になると心理状態が変わるものかもしれない。例えば、戦争は集団心理が大きく関わっているかもしれない、政治内の組織、集団における権力、国益を考えることで、イエスキリストの道を無視してきた。イエスキリストの掟である、愛を基準にして共同体を作るべきだと思う。それが知恵というものである。