キリストに倣いて(3.46.3 悪口されたときは、神を信頼すべきこと)

 しかし心を内部に向けず、神を目の前におかない人は、非難の一言にもすぐに動かされるのである。

 ところがわたしを頼みとして、自分の判断を頼みとしない人は、少しも人間を恐れることがないだろう。

 なんとなればわたしは審判者であって、どんな秘密でも見抜いているし、ことの顛末を知っているし、侮辱を加えた者も加えられた者をも知っているからである。

 その言葉はわたしから出たのである、それはわたしが許したから起こったのであって、「多くの心の念が顕われるため」(ルカ2.35)である。

 わたしは罪ある者、罪なき者を審判くだろう。しかしあらかじめ秘密の審判によってその両方を調べようとしたのである。