キリストに倣いて(3.57.1 少しくらい過失があっても、あまり落胆してはならぬこと)

 わたしの子よ、不運なとき、忍耐し謙遜であるのは、幸運なときおおいに喜び熱心であるよりも、わたしの嘉するところである。すこしぐらい悪く言われたからと言って、あなたはなぜ悲しむのか?もっとひどいことであったとしても、心を動かしてはいけないのに。

 ただ聞き流しておけばよい。始めてのことでないし、別に新しいことでもないし、あなたが長生きすれば、また言われぬともかぎらぬのであるから。

 あなたは不運に出会いさえしなければ、なかなか勇気があるし、他人に善い知恵を貸すことも、言葉で他人を励ますこともできる。しかし何か思いもかけぬ心配なことが来てあなたの戸をたたくと、たちまちあなたの知恵も勇気もどこへやら行ってしまうのである。

 あなたは小さい事件に会っても、自分の非常に弱いことをしばしば経験するが、その弱さをよく考えて見るがよい。けれどもそういうこと、ならびにそれに類したことの起こるたびごとに、それはあなたの救霊のためになるのである。