キリストに倣いて(4.14.1 キリストの聖体に対するある篤信な人々の熱烈な望みについて)

 弟子のこえ

 「ああ主よ、主を畏れる者のためにたくわえておおきになる、主の甘美はいかに大きいでしょう!」(詩編30.20)

 私は、主の秘跡にこの上ない敬虔と愛情とをもって近づく信仰厚い人々のあることを思いますと、心から恥じ入って赤面することがしばしばあります。私が主の祭壇、聖体拝領台に近づくのは、いかにも生ぬるく、冷ややかだからであります。

 ああ私の神よ、私はいつも実に冷淡無情で、主のみ前に出ても一向心が燃え立たず、また多くの敬虔な人々のごとく一途にそれに引きつけられて感激させられるということもありません。

 かれらは聖体を拝領したいという激しい望みと、心に愛を感ずるあまり、涙さえとどめあえず、心とからだの両方の口を開いて、ああ神よ、生命の泉なる主を、魂の底から喘ぎ慕い、喜びと霊的熱望とに満ちあふれて主の聖体を拝領しないうちは、とうていその飢えをやわらげたり満たしたりすることができないのであります。