キリストに倣いて(4.14.2 キリストの聖体に対するある篤信な人々の熱烈な望みについて)

 ああ、これらの人々の真に熱烈な信仰は主が聖体中に現存しておいでになるとのたしかな証拠であります。

 なんとなればかれらはパンの裂かれる時ほんとうに主を認め、その心はイエズスがこれとともに歩まれる時、その胸のうちにさかんに燃えるからであります。(ルカ24.35)

 かような愛情と敬虔、かような激しい愛熱は、とうてい私のおよぶところではありません。

 ああ慈しみ深く、甘美親切でおいでになるイエズスよ、私におん哀れみをたれて下さい。主の哀れなこの乞食にも、せめてはときどきなりとも聖体拝領の際に、主の心からのご愛情の幾分を感ずることができるようにして下さい。そうすれば私の信仰ももっと強くなり、主のおん慈しみに対する私の希望を増し、一度完全に燃やされて天上のマンナを味わった私の愛は決しておとろえることがなくなるでしょう。