キリストに倣いて(4.14.3 キリストの聖体に対するある篤信な人々の熱烈な望みについて)

 しかし主のおん哀れみは、私の望む恩恵を私に下さり、おぼしめしに適う日さえ来たら、その大いなるおん慈しみにより、熱烈な精神をもたらして私に臨まれることがおできになるのであります。

 なんとなれば、私はたとい今こそあの特別信心深い人々のように大なる熱望に燃え立っていないにしても、主の恩恵により、かれらを同じ炎々と燃え上がる望みを抱くことをこいねがい、自分も主を熱烈に愛するそういうすべての人々のなかに加わり、その聖なる仲間の一人に数えられることを、祈り、かつねがっているからであります。