キリストに倣いて(4.17.2 キリストを拝領するための熱い愛とはげしい望み)

 そして私はたといこれらの敬虔な感情をすべては抱くに足らない者でありましても、それでもなお、ちょうど私だけ、み意に適う熱烈なこれらの望みをことごとく有しているかのように、私の心の愛情を全部主におささげいたします。

 そうです、およそ敬虔な心の人が考え望み得るところは、なんでも私はこれをことごとく、この上ない崇敬と心からの愛情をもって、主に呈し、主に献げるのであります。

 私は自分のために何一つ残しておこうとは思いません。かえって喜び勇み、自ら進んで、自分をも、自分のすべてのものをも、主に犠牲としておささげいたします。

 ああ、私の神、私の創造主、かつ私のあがないぬしなる主よ、主のいと聖きおん母栄ある童貞女マリアが、ご托身の奥義を告げた天使に向かって、「私は主のおん召使です、あなたのお言葉のように、私に成りますように!」(ルカ1.38)と、謙遜、敬虔に答えられて、主を受け、主をお望みになったような、そういう感情、崇敬、賛美、頌栄、そういう感謝、ふさわしさ、愛、そういう信仰、希望、純潔をもって、私も今日主を拝領したいと思います。