キリストに倣いて(4.15.4 敬虔の恩恵は謙遜と克己とによって得られること)

 「その時その人は見て満ちあふれ、おどろき、その心は広く」(イザヤ60.5)なるだろう、それは主のおん手がかれとともにあり、かれはまったく自分を永遠にそのおん手のうちにお任せしているからである。見よ、心を尽くして神を求め、その霊魂がむなしいことを仰ぎ望まぬ人は、このような祝福を受けるだろう。

 かような人は、聖体を拝領する時、神と一致する大なる恩恵を得るのである。なんとなれば、かれは自分の敬虔や慰めをかえりみず、すべての敬虔、慰め以上に、神の誉れとみ栄えとを目ざしているからである。