2017-01-01から1年間の記事一覧

キリストに倣いて(4.1.7 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

それなのに、なぜ私は主のとうといみ前において、心がもっと燃え立たないのでしょうか? これら古の聖なる大祖や預言者たち、また国王、領主たちも、その全人民とともに、あれほど熱烈な愛情を傾けて神を礼拝したのに、なぜ私は主の聖なる奥義をお受けするた…

キリストに倣いて(4.1.6 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

けれどもとうとい物を蔵めた契約の櫃と、得も言われぬ諸徳を具えておいでになる主のいと潔き聖体との間には、非常に大きなちがいがあります。また来たるべき事物の象徴であった律法の犠牲と、古のあらゆる犠牲の完成である主のお体の真の犠牲との間にも、は…

キリストに倣いて(4.1.5 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

ああ、私の神よ、かれらは主をお喜ばせするために、どれほど努力したことでしょう! それに私のなすところは、ああ、なんと少ないことでしょう!私が聖体拝領の準備をするときに用いる時間は、なんと短かいことでしょう! 私がまったく心を集中して、気を散…

キリストに倣いて(4.1.4 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

ごらん下さい、義人ノエは少数の人々と救われるために、百年も骨を折って箱船を造りました。それに私は、どうして一時間のうちに、世界の創造主をうやうやしくお迎えする準備ができましょうか? 主の偉大なしもべで、かつ主の特別な友人であったモーセは、腐…

キリストに倣いて(4.1.3 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

この愛深いご寛恕と親切なお招きとは、そもそも何を意味するのでしょうか? 私は自分で頼みとすることのできる一つの善の心覚えもありませんのに、どうしてあえて近づくことができましょうか。 私はたびたび主の慈しみ深いお顔に背きましたのに、どうして主…

キリストに倣いて(4.1.2 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

主は、私がもし主と関係を有したいと思うなら、信頼をもって主に近づくように、またもし永遠の生命と光栄とを得たいと思うなら、朽ちぬ糧を受けるようにと命じておいでになります。 「わたしのもとに来い、すべて労苦して重荷を負う者よ、わたしはあなたがた…

キリストに倣いて(4.1.1 いかにうやうやしくキリストをお受けすべきか)

弟子のこえ ああ永遠の真理でおいでになるキリストよ、これらは、同じ時に仰せになったものでもなければ、また同じ所に記してあるものでもありませんが、みな主のみ言葉でございます。 それで、これは主のお言葉であって真理でありますから、すべて私が感謝…

キリストに倣いて(第四巻 聖体の秘跡 聖体拝領に関するおん勧告)

キリストのおこえ 主はおおせられる、「わたしのもとに来い、すべて労苦して重荷を負う者よ、わたしはあなたがたを休ませよう。」(マタイ11.28) 「わたしの与えようとするパンは、この世を生かすためのわたしの肉である。」(ヨハネ6.53) 「取って食せよ、こ…

キリストに倣いて(3.59.4 すべての希望と信頼とは、ただ神にのみおくべきこと)

というのは、私たちの平和幸福のためになると思われるものも、主がおいでにならなければ、みなむなしく、ほんとうに、すこしも私たちの幸福の助けにならないからであります。 ゆえに主はすべての善の目的、生命の絶頂、言葉の深い淵にましまし、何物にもまさ…

キリストに倣いて(3.59.3 すべての希望と信頼とは、ただ神にのみおくべきこと)

ゆえに、ああ主なる神よ、私はわが希望と信頼とをことごとく主におき、私の患難も煩悶もすべて主に打ち明けます。なんとなれば、私の見るところでは、主のほか、なんでもみな弱い、変わりやすいものだからであります。 なぜというのに、主が私を支え、助け、…

キリストに倣いて(3.59.2 すべての希望と信頼とは、ただ神にのみおくべきこと)

「人はみな自分のことを求め」ます(フィリピ書2.21)。けれども主はただ私の救霊と、進歩とばかりをお望みになり、すべてのことを私にとってためになるようにしてくださいます。 そして主はたとい私をいろいろな誘惑や不運にお会わせになることがあっても、そ…

キリストに倣いて(3.59.1 すべての希望と信頼とは、ただ神にのみおくべきこと)

主よ、この世にあるもので、私の信頼し得るものはなんでしょう?また天下にあるすべての物の中、私のこの上ない慰めとなるものはなんでしょう? 私の主なる神よ、それはおん慈愛かぎりない主ではありませんか? 私は主を離れて、うまくいったことが、どこに…

キリストに倣いて(3.58.10 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと) 

幼子とともに甘んじて自らへりくだることを、恥ずかしく思っていやがる人は災難である。なんとなれば、天国の門は低いので、そういう人は中にはいることができないからである。 この世において「自分の慰めを有する富める人」(ルカ6.24)も災難である。 なぜ…

キリストに倣いて(3.58.9 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと)

多くの人々は、神のみ国においてだれが一番偉いかを調べるか、自分がその最小の者の中にさえ加えられる価値があるかどうかは知らない。 天国ではみな偉いのであるから、そこでたとい最小の者にでもなれば、それは大したことである。なんとなればみな神の子と…

キリストに倣いて(3.58.8 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと)

もし人々が満足して、そのむなしい議論を慎しみさえすれば、かれら諸聖人も大いに---この上なく満足するのである。 かれらは自分の功績を誇らない、なぜならかれらは善を何一つ自分に帰せず、ことごとくわたしに帰するからで、それはわたしがかぎりない愛か…

キリストに倣いて(3.58.7 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと)

だからわたしの子よ、あなたが知り得ぬ物事を、物好きに論ずることを慎しみ、むしろ神のみ国の相続者中に、たといその最小の者としてでも仲間入りができるよう心がけ、努めるべきである。 そしてまた、たとい天国でだれがひときわすぐれて聖であり偉大である…

キリストに倣いて(3.58.6 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと)

多くの人々は無知であって、ことに天からの照らしを受けることがほとんどなく、まったくの霊的愛で他人を愛することをめったに知らないような者はそうである。 かれらはまだ天性の愛情や人間的友情によって、あるいはこの人に、あるいはあの人に引き付けられ…

キリストに倣いて(3.58.5 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしとせんさくせぬこと)

しかしそれよりはるかにとうといのは、かれらがみなわたしを、自分よりも自分の功績よりも愛することである。 なんとなれば、かれらは自分というものを超越し、自分を愛する念を離れ、わたしとの愛にまったく没頭し、満足してそのうちに安息するからである。…

キリストに倣いて(3.58.4 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと)

わたしはその首席の者と末席の者とを知り、無量の愛をもってかれらをみな抱擁している。 わたしはわたしの諸聖人において賛美されるべき者である。わたしは万物にまさって祝されるべき者、かれら(諸聖人)のおのおのにおいて崇められるべき者である、なんとな…

キリストに倣いて(3.58.3 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしとせんさくせぬこと)

あるいは熱烈な愛に駆られてこの聖人を慕い、あるいはあの聖人をいっそう好むものもあるが、この愛情は神からくるものでなくて、むしろ人間の心から出るものである。 わたしは諸聖人を創造って者で、かれらに恩恵を与え、光栄を授けた。 わたしはかれらめい…

キリストに倣いて(3.58.2 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと)

同様にまた、諸聖人の功績についても、そのうちのだれが他よりも聖であるとか、だれが天国で偉大であるとか言って、せんさくしたり議論したりしてはならぬ。 こういうことはたびたび、無用の喧嘩口論を引き起こし、高慢や虚栄心を養う。 そしてそれによって…

キリストに倣いて(3.58.1 高遠なことや、うかがい知るを許さぬ神のおぼしめしをせんさくせぬこと)

わたしの子よ、慎んで高遠なことや、窺い知るを許さぬ神のおぼしめしについて、議論を闘わすな。たとえばなぜこの人はこのまま打ち捨てておかれ、あの人はあれほど大なる恩恵をこうむっているのか、またなぜこの人はこれほどひどい苦しみを受け、あの人はあ…

キリストに倣いて(3.57.4 少しぐらい過失があっても、あまり落胆してはならぬこと) 

ああ主よ、主のみ言葉は賛美すべきかな!それは私の口に蜜よりも生蜜よりも甘い(詩編18.11)ものでございます。 もし主が聖なるみ言葉をもって私を励ましてくださらないとしたら、私はこれほど大きい患難苦悩のときに、どうすればよいでしょう。 ついに救霊の…

キリストに倣いて(3.57.3 少しぐらい過失があっても、あまり落胆してはならぬこと)

あなたの心を平静に保ち、もっとひどいことでも耐え忍ぶ覚悟をせよ。 たといしばしば悩み苦しみ、激しい誘惑に会っても、それでもう万事休矣というわけではない。 あなたは人間である、神ではない、あなたは肉である、天使ではない。 いつも変わらず善徳の状…

キリストに倣いて(3.57.2 少しぐらい過失があっても、あまり落胆してはならぬこと)

できるだけそれを心から追い出すようにせよ、そして心を乱された場合にも、そのためにくずおれてしまわず、また長い間それに捉われてはならぬ。 喜んでそれを受けることができないにしても、せめては忍耐強くこらえる。 たといいやなことを聞いて、憤慨の情…

キリストに倣いて(3.57.1 少しくらい過失があっても、あまり落胆してはならぬこと)

わたしの子よ、不運なとき、忍耐し謙遜であるのは、幸運なときおおいに喜び熱心であるよりも、わたしの嘉するところである。すこしぐらい悪く言われたからと言って、あなたはなぜ悲しむのか?もっとひどいことであったとしても、心を動かしてはいけないのに…

キリストに倣いて(3.56.6 自分を捨て、十字架を取ってキリストに倣うべきこと)

私の兄弟たちよ、さあともどもに進もう。イエズスは私たちとともにおいでになるだろう。 私たちはイエズスのおんためにこの十字架を受け取った、それゆえイエズスのおんためにどこまでもしんぼうしてそれを担い通そう。 かれは私たちの助力者となり、私たち…

キリストに倣いて(3.56.6 自分を捨て、十字架を取ってキリストに倣うべきこと)

私の兄弟たちよ、さあともどもに進もう。イエズスは私たちとともにおいでになるだろう。 私たちはイエズスのおんためにこの十字架を受け取った、それゆえイエズスのおんためにどこまでもしんぼうしてそれを担い通そう。 かれは私たちの助力者となり、私たち…

キリストに倣いて(3.56.5 自分を捨て、十字架を取ってキリストに倣うべきこと)

主イエズスよ、主が仰せられ、お約束になった通りになり、私もそれに参加るに足る者とならせてください。 私は十字架を受け取りました。主のみ手から受け取ったのでございます。私はそれを主が私に負わせて下さったままに担いました。また死ぬまで担って行こ…

キリストに倣いて(3.56.4 自分を捨て、十字架を取ってキリストに倣うべきこと)

わたしの子よ、あなたはいまこれらのことをすべて読んで、知っているから、それを実行すれば、幸福だろう。 「わたしの命令を有してこれを守る者は、すなわちわたしを愛する者であって、わたしもこれを愛してこれに自分をあらわすだろう。」(ヨハネ14.21) そ…